伝統の技とは何か?甲冑師の誇りとは何か?その答えは武久の一領一領の鎧兜の中に……。
全国には年間何十万領もの五月人形の鎧、兜が製造されている。
その中で武久の鎧、兜の占める割合は微々たるものです。
日本の心、伝統技を広く知って頂きたいと願う私どもにとってそれは不本意な事……
しかしながら、機械による大量生産では代々受け継がれてきた武久の技は到底表現し得るものではないのです。
乱世の武将にとって、甲冑とは、武具であると同時に子孫繁栄、武勲を願う信仰の対象でもありました。
その心を受けて甲冑師達も武士の心に負けず、誇りをかけて製作に挑みました。
そういった意味では、名作を作る事とは名将の心を今に映す事と言えます。
それも機械には到底表現し得ないものです。
これからも武久は名作を作り続ける事をここにお約束いたします。
京甲冑師としての誇りをかけて。
ABOUT平安武久について
最高ランク、別格の甲冑師。
京甲冑の真髄を今に伝える一子相伝の技。
一水、粟田口清信と並ぶ京甲冑師の三大ブランドの一つ「武久」。
初代平安武久(佐治久三郎)と妻・初代智尚(京都市伝統工芸技術功労者・知)の長男として先代である佐治壽一が京都に生まれる。
伝統技と心を学び、昭和48年二代目平安武久襲名。襲名後の活躍はまさに平安武久の名に恥じない物で、昭和60年京人形商工業組合理事就任。平成3年には京人形商工業協同組合理事長に就任。平成20年には瑞宝単光章勲章受賞等、名実ともに京甲冑界の重鎮に。その後伝統技は三代目となる佐治徹也師へと受け継がれた。
その技は京物ならではの重厚さを漂わせ、本来の京甲冑の贅をつくしている。
PROFILEプロフィール
二代目 平安武久佐治 壽一HISAKAZU SAJI
昭和13年、京都市に生まれる。
昭和32年、先代に甲冑作りを師事。
昭和48年、二代目平安武久を継ぐ。
昭和60年、京人形商工業協同組合理事就任。
平成3年、京人形商工業協同組合理事長就任。
平成6年、経済産業大臣認定 伝統工芸士認定。
平成14年、京都市伝統産業技術功労者として表彰を受ける。
平成20年、瑞宝単光章受章。
現在に至る。
経済産業省認定伝統工芸士
京都市伝統産業技術功労者
瑞宝単光章受章
三代目 平安武久佐治 徹也TETSUYA SAJI
昭和43年、二代目(佐治壽一)の長男として生まれる。
平成元年、京都芸術短期大学(美学・美術史)卒。
平成5年、二代目(佐治壽一)に甲冑作りを師事。
平成20年、経済産業大臣認定 伝統工芸士認定。
現在に至る。
経済産業省指定伝統工芸士
REPORT潜入リポート
増村人形店が貴重な名匠の作業場に潜入!
名将の心を今に移す男子の精神美
鍬形部分は、真鍮の板の切り口にやすりをかけ、滑らかに加工しますが、そんな細かな部分まで師自らが目を通します。
職人自らが、丸太に穴やくぼみを空け、作業し易いようカスタマイズした作業机。名工ならではの道具へのこだわりがここにも。
2人の伝統工芸士が京の工房内で日々研鑽を積む。
武久の代表作とも言える本革手並べ小札。革は扱いが難しく、代用品として和紙が使われる事が多い。
頭の鉢作りは甲冑師の基本とも言える仕事。
銅板を何度も槌で打つことによってお椀状の鉢にする「手打ち出し」も武久ならではの技。
MOVIEムービー
GALLERYギャラリー
MASUMURA×平安武久
増村と各作家とのお付き合いが生み出した世界にふたつとないオリジナルオーダーメイド人形
世界でたった一人の貴方の大切な方には、世界でたったひとつの名品こそ相応しい。
その想いは日本を代表する名匠の手で形となる。
良き日の思い出が詰まった着物や帯を市松人形や雛人形に。
お子様のお名前が彫られた五月人形や、のぼり旗etc..。
ぜひお客様の想いをお聞かせください。増村人形店がお手伝いさせていただきます。